1999年4月22日に、その直前の18日に横川駅周辺に「碓氷峠鉄道文化むら」が開園した事もあり、その後の碓氷峠という事で、見学に行って来ました。
早朝、中央線国立駅で一番電車に乗り、隣の立川駅まで乗車する。これから、八高線経由で高崎駅に向かい、信越線で横川駅に行く予定である。じはらく待っていると、201系一番電車が到着する。さすがに早朝だけあって乗客はまばらである。直に立川駅に到着する。青梅線ホームに移動すると、既に、103系青梅線始発電車が到着。乗客は、沿線を反映して山歩きのリュックを担いだ人が多い。拝島駅に着き、八高線に乗り換える。こちらでも、既に、103系始発電車が入線している。ほとんど乗客はいない。そう言えば、八高線には電化されてからは初めて乗る事になる。住宅地を抜け森林の中を走る。所々、街中を抜けながら軽快に走ってゆく。高麗川駅に着き、ここから先は非電化区間なので、キハ110系気動車に乗り換える。群馬県境になった頃から通勤時間帯なのか通勤客が乗車してくる。北藤岡駅付近で、東北新幹線の高架橋が見えてくる。高崎線と併走した後、高崎駅に到着する。隣のホームには、横川駅行きの115系普通電車が待っている。こちらには、もう、大方、通学の高校生が乗車している。空いている席を探し、先頭車のすいている席に座る。市街地を過ぎ、段々と山の中を走るようになると、いよいよ、終点、横川駅である。車内アナウンスを簡潔に済ませ、以前の賑やかさは無くなっている。
横川駅に着き、付近の様子を見る。線路端には車止めが出来ており、駅南側の留置線跡は駐車場となっているが、しかし、名残惜しいのか、レールがそのまま残されてコンクリートで固められている。駅前の広場には碓氷峠鉄道文化むらオープン記念の催しもののテントが賑やかに張ってあるのとは対照的である。車止め裏のバス停から軽井沢駅行きのJR関東バスに乗り換える。車内は数人の乗客があり、ほとんどが地元の人のようだ。碓氷峠鉄道文化むらの横を通り過ぎ、トンネルや幾重にも折り重なった峠道を通り、数10分して軽井沢駅に着く。自動車にしても、かなりの急傾斜の道路である。
軽井沢駅では、従来の駅舎は取り壊され、しなの鉄道と新幹線の駅舎が別々になり、跨線橋にまたがって奇麗になっている。その脇の方に保存機のEF63がパンタを降ろしている。そこから見える駅構内はほとんどそのままの状態で放置されていた。ただ、遠くて車止めまでは見えなかった。再びバスに乗り、横川駅に戻る。峠の上からは遠くまで良く見下ろせる。乗客は平日という事もあるのか、ほんの数人である。
横川駅に着くと、もう、開園を待つ人がいる。駅から引き続き、こちらでも留置線や引き込線路跡がそのままコンクリートで固められ、当時の線路配置が解るようになっている。開園のゲートが開き、園内を見学する。横川運転区当時の建物や検修庫がそのまま残っているのには感激した。運転所の建物は資料館となっており中を見学できた。検修庫の中には、EF63、EF62、ED42の各車両が展示してあり、運転席にも乗車できる。広場には、各地から集められた機関車や客車が展示してあった。数時間おきに、元本線の線路でEF63が短い距離ながらも、係員により自走運転をしている。久々に聞く音だ。あの廃止の騒ぎの事をふと思い出していた。見学した後、お馴染みの「峠のかまめし」を昼飯にし後にする。聞いたところによると、旧丸山変電所付近にも車両展示があるそうなのだが、時間の関係で見送り、横川駅付近の散歩をする。駅周辺は南側が駐車場になった事、踏み切りなどで線路内立ち入り禁止の柵がある以外は、ほぼ、そのままのようだ。
横川駅に戻り、帰りの電車を待つ。帰りは来た時の経路をそのまま逆にたどる。帰りは例のごとく疲れからか寝てしまい、あまり物事を覚えていない。高崎駅、高麗川駅、拝島駅、立川駅、谷保駅の順に乗り換え、下車し、自宅に向かった。
本音を言うと「せめてもう一度だけでも、現役のまま訪れたかった。」と思ったが、動態保存が決まった今、かえって安心したように想う。


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